J 矢田磧(矢田川原)

 羽柴秀吉織田信雄(のぶかつ・信長の次男)・徳川家康連合軍との間で天下統一をねらって激しく戦った小牧・長久手の戦い。膠着状態に陥った秀吉と信雄がここで会見し、和睦を結んだ地といわれています。

 江戸時代以前はこの付近を町屋川が流れており、矢田磧(川原)と称しました。桑名では慶安3年(1650)町屋川の大洪水がありましたが、久波奈名所図会によるとそれまではこの付近は人家もない高川原であったと記されています。

 なお磧とは石の多い川原という意味です。

矢田川原の和睦 久波奈名所図会より
左秀吉軍、右信雄軍
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現在の矢田磧地内 矢田磧地名表示
三重県桑名庁舎南門の前にあります

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